カイロプラクティックとは

カイロプラクティックへのこだわり

骨格矯正
カイロプラクティック

私は多くの部位を痛めてきました。中でも頸椎の損傷は深刻で、ムチウチ損傷からの慢性の首こり・頭痛に苦しみました。

当時の担当医から「頭痛と首の痛みは上手く付き合うしかないね」と言われ諦めかけていましたが、他界した師匠のカイロプラクティックでの頸椎矯正に救われました。

他界後、他院で受けた米式カイロは痛みを伴い、日本人の体格に合わないのではと疑問を感じました。

それ以降、臨床にりんしょうを重ね、日本人向けの独自の骨格矯正を確立。今では頭痛と首の痛みに悩む方々の力になりたいと日々努めています。

カイロプラクティックとは

chiropractic
定義

カイロプラクティックは、脊椎のずれ(サブラクセーション)を手技によって調整し、神経系の働きを正常化する治療法です。

  • 脊椎の不整列が、神経伝達の乱れや筋肉の緊張、痛みの原因となると考えます。
  • 手技を通じて、自然治癒力を高め、体全体のバランスを回復させることを目的としています。
原理

カイロプラクティックの原理は、脊椎の正しい位置と動きを取り戻すことで、神経系の機能が正常化され、体の自然な治癒力が発揮されるという考えに基づいています。

  • 脊椎のずれが神経圧迫や機能障害を引き起こすため、これを調整することが症状改善に直結します。
  • 調整後、血流の改善や筋肉の緊張緩和が促され、全身の健康維持に寄与します。

矯正動画

百聞は一見に如かず

伝来から日本での発展


From tradition to development
1895年(明治28年)
カイロプラクティック創始
  • カナダ生まれの米国人、D.D.パーマー(ダニエル・デービッド・パーマー)により、徒手療法として創始されました。
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    • カイロプラクティックの生みの親
      • ダニエル・デービッド・パーマー
カイロプラクティックの生みの親 / ダニエル・デービッド・パーマー
カイロプラクティックの生みの親 / ダニエル・デービッド・パーマー
1907年
日本人最初のカイロプラクター卒業
  • 森久保繁太郎がパーマースクールを卒業。しかし、彼は卒業後、米国で生涯を過ごしました。
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    • 森久保繁太郎
日本人最初のカイロプラクター / 森久保繁太郎
日本人最初のカイロプラクター / 森久保繁太郎
1916年(大正5年)
日本への伝来
  • 川口三郎が、パーマー・スクール・オブ・カイロプラクティックを卒業後、日本にカイロプラクティックを伝えました。
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    • パーマーと当時のカイロプラクター
パーマーと当時のカイロプラクター
パーマーと当時のカイロプラクター
1961年
戦後初のカイロプラクター帰国
  • 竹谷内一愿がナショナル・カレッジ・オブ・カイロプラクティックを卒業し帰国。その後、多くの日本人が米国で学び、理論と技術を伝えました。
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    • 施術(アジャスト)風景
施術(アジャスト)風景
施術(アジャスト)風景
現在
国際基準の普及と法制化
  • 日本国内でも日本語で国際基準のカイロプラクティック教育が整備され、世界80ヶ国以上、アメリカやイギリスなど34の国・地域で法制化。国連WHOにも認められていますが、日本では未だ法制化されていません。
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    • トロント・ポート・ペリーにある公園「Daniel David Palmer Park」の記念モニュメント
トロント・ポート・ペリーにある公園「Daniel David Palmer Park」の記念モニュメント
トロント・ポート・ペリーにある公園「Daniel David Palmer Park」の記念モニュメント

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